何かとやってみるブログ

本職にしたい。

転職してみて気づいた事。

 

 

こんちわ。

 

 

 新しい職に移ってから、今日でまるまる一か月です。

まあ一か月なので、まだまだ研修上がりでちょっとだけ

手伝ってるみたいなもんですけど。

 

 

で、転職してみてわかったことが2つあるんですよ。

 

 

1つ目は

仕事ってのはだるい

 

 

以前まで、就きたかった職業につければ、

仕事ってめっちゃ楽しくて人生ハッピーに

なれると少しだけ思ってました。

 

でも、あれだけ憧れた編集職に就いたって、

仕事に行く前の気怠さが無くなることはありませんでした。

 

覚えること多いし、デスクワークだし、平日休みだし、

終わるのは午前2時とかだし、意味不明に怒られるし。

 

愚痴を言えと言われれば無限に出すことができます。

 

まあ仕事ってそもそも

「誰かが必要としているけど、誰もやりたがらない事」

にお金を貰って従事しているものだと思っているので、

当たり前といえばそれまでなんですけど。

 

 

 

 

あともう一つ、

それでも転職して本当によかった。

 

 

いや、仕事はだるいんですよ。でも、そのレベルが

前職と段違いっていうか、ずいぶんとましなんですよね。

 

前職では休みの日も売り上げのことを考えて吐きそうだったし、

日曜日の夕方になると死にたくなってました。

通勤の電車内では辞めた後の妄想を一生やってましたし、

弊社、爆発してないかなとか考えてました。

 

 

仕事がだるいとか、そんな次元のものではなかったんですよ。

 

 

 

でもそれだけ深刻な状況にも関わらず、

「働くってこういうものだ」

と言い聞かせて嫌々ながら続けていました。

 

働くってしんどいもので、みんな辛い思いをしながらでも

頑張ってるんだ。だから自分だけ逃げるなんてそれは

甘えだ。辛くても頑張らないと。

 

 

そんな思いがずーっとありました。

というより、新入社員研修でそういう思考に

矯正されていたのです。

 

 

でも今、職を新たにしたからこそ言いたい。

 

死にたいまで考えるなら、転職すべき。

 

 

仕事はもちろんだるいし辛いことも多いです。

でも、あまりに深刻であるならば、職を転ずるべきです。

 

その辛さは自分の甘さのせいではなく、ミスマッチ。

 

 

 

 

なので、どうしようもない辛さを抱えて仕事をしている人は、

身体を壊す前に転職したほうがいいです。

どこへ行っても同じだという人もいるかもしれないけれど、

少なくとも今よりも良い環境で働ける職場はごまんとありますよ!

 

 

 

 

終わり。

 

 

 

 

クビになったことを親に言う修羅場

 

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こんにちわ。

 

 

 

読者の皆さんはもう、僕が前職をクビになったこと

はご存知だと思うんですけど、

 

yusuke1567.hatenablog.com

 

 

クビになって何が一番辛かったかって、あれですよ。

親に言うときですよ。

 

 

正直、会社には一切の未練がなくて、解雇宣告されて

最初に思ったことって「良かった。。。」ですから。

もうそれぐらい息苦しかったですよね。

 

 

ただ、親に報告するのは本当に辛かった。

だってやっと手を離れた子供が7か月で会社を追われるなんて

そんな親不孝はないでしょう。僕だって社会にもまれながらも

成長していく姿を見せたかったんですけどね。

 

 

世間では、会社を追われたり人知れず辞めたけど家族に言い出せずに

朝いつもどおり家を出てネカフェで時間をつぶす人も多いみたいです。

今ならその人達の気持ち、よーくわかる。

 

 

で、正直僕もかなり迷ったんですよ。

クビになったのではなく辞めるつもりでいる話から切り出して、

説得できるまでは朝は出勤する体でいようかなとか。

 

 

でもやっぱりどう繕っても無理が出るんですよ。

そんな簡単なウソついたって一瞬でバレるなって。

だから、もう正直に言って全力で謝ることにしました。

 

 

重い足取りで家に帰ると、たまたま居間に両親がいて、

もう今しかないって決心して言いました。

「明日で会社を辞めることになりました」って。

 

 

人間、本当に驚いた時って意外と冷静なんすね。

リアクション取れないみたいなんですよ。5秒ぐらい時が止まりましたもん。

 

 

その後の尋問たるや。もうね、「てってれー」

って言いたくてしょうがなかった。

責任逃れする某都知事の気持ち、今ならわかる。

でもお前、第三者が一番怒ってるぞ。

 

 

 

でも何かと言ってもやっぱり親ですね。

母親は僕が会社でひどい仕打ち受けてたの知ってたので

ちょっとホッとしてましたし、父親にはだいぶ怒られたけど

「明日お世話になった人全員に謝ってきっちり辞めて帰ってこい」

って言ってくれました。初めてカッコいいと思いました。

 

 

そんな感じで人生最大の危機を乗り切ったわけです。

皆さん、悪いことをしたら正直に謝りましょうね。

そうすれば何とかなります。

 

 

そしてクビになったらいろんな人の気持ちを理解できるし、

何より親の愛を再確認できるので、おススメです!

同じ道をたどりやがれ!

 

 

 

 

 

「海よりもまだ深く」を見ました。

 

 

 

こんちわ。

 

 

先日、是枝裕和監督の最新作「海よりもまだ深く」を見ました。

 

www.youtube.com

 

 

是枝作品との出会いは前作海街Diaryでした。

 

「とにかく美女が見たい」

 

という不純極まりない動機から見たのが、あまりの完成度の高さに

心打たれまくり。一筋の涙がそれは女優のようにきれいに流れてから

是枝監督の虜になりました。

 

 

 

 

さて、今作の「海よりもまだ深く」ですが、

なんと言っても樹木希林の演技力に尽きます。

 

ここまで自然体で演じられる人がいるんだなあ。

って、ど素人ながら感動しました。演技に癖がない

というか、無理がないというか、とにかく溶け込んでる。

特別何かが起こるわけではない、誰にでも起こり得る

日常を映画化できるのは、この人の演技あってこそ

だと感じさせられます。

 

 

そこから生まれるセリフも、良い。

 

「幸せってのは何かをあきらめないと手にできない」

 

「人生なんて単純よ」

 

といった深い言葉を、さらっと言えてしまう

器の大きさ。きっと波乱万丈の人生を生きてきた当人

だからこそ扱える言葉なのだと思います。

 

 

 

この作品を見るまで、樹木希林のことは

ロッケンロールおばあちゃん」

ぐらいにしか思っていませんでしたが、

見方が180°変わりました。

 

人生経験が豊富になるとこうもあっさりと

言葉を扱ってしまうのかと思うと、

歳を取るのも悪くない。そう思わされました。

 

 

 

何か樹木希林礼賛記事みたいになりましたが、

もちろん他の俳優さんもいい味を出していて、

作品としても大満足です。

 

 

決して画面を彩るイケメンがいるわけでも、美女がいるわけでも

ありませんが、(真木よう子の哀愁はマジよかった)

なんでもない日常をなんとなく生きる人達が描かれていて、

色々と足りないところや物足りないところもあるはずなのに

それさえも愛おしく思えるような、そんな映画でした。

 

 

 

今月発売の「SWITCH」樹木希林特集も

ぜひチェックしたいところです。

www.switch-store.net

 

 

では。

 

 

 

何にもならないクソみたいな話。

 

 

こんにちわ。

 

 

自分の経験の中で、クソみたいな話ってあるじゃないですか。

何も得るものがなくて、ただただ無駄だった経験。

 

 

 

僕は今までそんな経験しかしてこなかったんですけど、

その中でも飛び切りクソで、でも一番「自分」を

表していたなと思う出来事をお話しします。

 

 

 

続きを読む

営業が向いてる奴なんていない。

 

 

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こんにちわ。

 

もう半年も前の話になりますが、

前職では求人広告の営業をしていました。

 

精神的にも肉体的にもへろへろになる

自分を見て「営業、向いてないなあ」

と毎日のように思っていました。

 

 

無茶なノルマ、数字に対するプレッシャー、

上がらない成績、内気な性格、上手にサボれない不器用さ。

 

顧客と世間話なんてできないし、「私に任せてください」

なんて大口叩ける質じゃない。ただただ、何も考えずに

飛び込み営業を繰り返す日々でした。

 

 

同期の中では成績は上位を保っていましたが、

一週間ギア全開で働いていたので、少しでも

サボったら一気に落ちるだろう。という恐怖に

無理やり突き動かされていたんだろうと思います。

いずれにせよ働き方に限界を感じていました。

 

 

 

そんな、営業職との葛藤が続いていたある日、

ふと、こんな事を思い立ちました。

 

 

ひょっとして、俺らの世代って全員営業に向いてないんじゃないの?

 

 

僕らは大人たちからの庇護をたっぷり受けた、

ゆとり世代のど真ん中です。

 

 

昔のように5人兄弟が当たり前ではなく、

学校のクラスも20人前後でした。

大人の数に対して子供が少ない程、一人に注がれる

愛情は大きくなります。

 

 

つまり、自ら何か主張しなくても、周りがすべてを

察し、環境を整えてくれました。

お菓子は取り合うことなく人数分用意されていたし、

先生にトイレが行きたいという前に、向こう側から

「具合が悪いの」と心配してくれました。

 

 

 

そうなると、どうしても人生は受け身になってしまいます。

自分が動かなくても、周りが何とかしてくれる。

そんな甘ったれた精神が根っこにあるから、

誰かを蹴落としても前に出る。という事に抵抗を感じてしまうのです。

 

 

そんな育ち方をした僕らが、社会に出れば

競争だと尻を叩かれ、数字を付けられることに

抵抗を感じるのはごく自然なことです。

 

 

本屋でアルバイトをしていた時、就活生の

女の子が言っていた言葉が印象的でした。

 

 

「行きたい企業も行きたくない企業もない。

選考なんてあみだくじでいいのに」

 

 

僕らは温室で育ちすぎたので、

ハングリー精神とか、サバイバル力が全くありません。

なので、営業が向いていないのは自分ではなく、

全員なのだと気づきました。

 

 

 

今、営業を辞められて本当によかったと

思っています。編集職にはまた別の気苦労が

思いますが、それでも休日も翌週の予算のことで

死にたくなるような生活からは脱出できました。

 

 

 

営業なんて、スポ根精神で育ってきた上の世代に任せて、

自分たちは自分たちにできることを見つけ、やっていければ

と思っています。

 

 

 

では。

 

 

 

 

 

 

 

ドアを叩く「ノック」という行為に真剣に向き合ってみた。

 

 

 

病気柄、病院に行く事が多いんです。

 

そして、先日も通院してきたんですが、

そこでふと気になった事があるので、

今日はそれについて書きたい。

 

 

 

 

「診察室のドアをノックするのか問題」だ。

 

 

 

 

ドアという敷居を隔てて別の空間に移動する際、

そちら側に別の誰かが存在するのであれば、

まずドアをノックするのは至って普通の事だろう。

 

 

それは、これからそちらに伺いますよ。

という合図であり、自分と言う存在をまずは

音によって知らせることで、相手に心理的な余裕を

持たせるためのものである。

 

 

 

ならば、たとえどの空間であろうとも

見えない向こう側に移動する際は「ノック」

というクッションを挟むべきだと、そう思う。

 

 

 

しかし、だ。

 

 

それは相手が、自分と言う存在にまだ気づいていない

時だからこそ効果を示すものなのではないか、とも思う。

 

自分が入室する準備ができていない所に

急に押しかけてしまえば、それは失礼に値する。

 

ただ、診察室という、相手側から自分を呼び寄せる

場合は、どうなのだろうか。

 

 

この場合、相手が主導であるため、

準備が整っていない。という状況になる事はまずあり得ない。

 

 

呼んでおきながら、入ったら怒られるなんて

理不尽はちょっと遠慮願いたい。

 

 

つまり、自分が入室する事を事前に許された中で

入室の許可を求めるノックするなんて、

それは逆に失礼に値するのではないだろうか。

 

 

「いやお前、入れって言ってんのに入って良いですか」

って、緊張でがちがちになった就活生かよっ。ってなる。

 

 

 

これは由々しき問題である。

 

 

今までは、ドアの向こう側に入る際、

際限なくノックをしていたのだが、

この事実に気づいてしまった今日から、

自分は「想定客」なのか「想定外客」

なのかを意識して、その度にノックの有無について

考えないといけないからだ。

 

 

 

 

そもそも、「ノック」は世の中に

いかほどの意味を成しているんだろうか。

 

 

google大先生に質問してみたところ、

こんな答えが返ってきた。

 

 

  1. 打つこと。たたくこと。
  1. 訪問や入室を知らせる合図に、戸を軽くたたくこと。「扉を軽く―する」

 

 

 

ふっつーーーーーやな。

 

 

そんなんじゃないんだよな。

俺が求めていたのはそんなんじゃないんだよ。

俺が聞きたいのはその「訪問や入室する事が

許可されてる中でわざわざ合図する必要があるのか」

なんだよな。

 

 

これが解決しない限り、俺はノックするたびに

いちいち躊躇してしまうんだよ。

それは本当にめんどくさい事なんだよ。

 

 

 

 

ただ何が一番めんどくさいって、こんなクソみたいな

どーでも良い問いに一時間も迷い続けてしまう自分自身なんだけどな。

(しっかり落としました)

 

 

 

 

 

 

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無職は辛いよ。

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こんばんわ。

 

先日は、無職万歳!無職最高!という

無職賞賛記事を書かせて頂きました。

 

 

yusuke1567.hatenablog.com

 

 

無職は無駄ではない。

この考えは一貫していますが、

だからと言って無職が全てハッピーなわけではありません。

 

 

そこで、今日は無職のデメリットを僕なりに

書いていきたいと思います。あ、ちなみに

「再就職に不利」

とか、世間一般で言われている事ではなく、

あくまで個人的に感じた事を書いていきますので、

悪しからず。

 

 

 

  • 働かなくても生きていけることを知ってしまう。

学生の頃は、卒業したら働くのが普通だと思っていました。

いや、それは普通なのですが、「働かなくては死んでしまう」

という一種の強迫観念にとらわれていました。

 

しかし、社会から放り出された時、別に働かなくても

とりあえずは生きていけることに気づいてしまいます。

 

もちろん、それは実家という庇護の下であるからですが、

その甘えに慣れてしまうと「働く意味って何なの?」

という考えに至ります。

 

働く意味を説明できる人は、意外に少ない。

なぜならそれは、大きく見れば「生きる意味」

という根幹の問題に行き着いてしまうからです。

 

この疑問に嵌まってしまうと、社会に出ることが容易では

無くなってしまいます。前回の記事で、無職は時間がある分、

深く考えることができる。と言いましたが、

それは良い事だけというわけではありません。

 

 

  • 誰からも必要とされない孤独感に陥る。

働いていれば気付きにくいかもしれませんが、

自分の居場所が当り前にある事はとても幸せです。

会社に行けば自分のデスクがあり、見知った顔がいて、

いつも通り挨拶を交わす。

これがどれだけ尊い事なのか、無職になって初めて気付きます。

 

月曜から金曜まで予定がなく、平日の昼下がりに

面白くもないワイドショーを貪るのはあまりに虚しく、悲しい。

 

誰からも必要とされない孤独は、何物にも代えがたい。

人間には「行く場所」「帰る場所」

の両方が必要なんだと思い知らされます。

 

 

 

  • 社会に出るのに躊躇してしまう。

朝起きて会社に行く。仕事をして帰宅して寝てまた朝起きる。

そんな当り前が当り前じゃなくなり、全てが自由になります。

すると、昼前にだらだら起きて、ボーっとしながら

過ごす一日を送ってしまいます。

そんな毎日に慣れてしまうと、社会に出ることに

ためらいを持つようになります。

 

例えば、毎日筋トレをしていればそれが苦では無くなりますが、

ちょっとサボってから久しぶりに始めるそれは

とても労力が必要です。

久しぶりに動かせば体は悲鳴を上げます。

次の日は筋肉痛に襲われます。

それを分かっているからこそ、日が経つにつれて

一歩踏み出す勇気が無くなっていくのです。

 

 

 

 

 

もちろんこれらの他にも、お金が無くなる。

世間の目線が白くなる。等様々な弊害があります。

それに耐えるのは本当に辛い事です。

 

 

 

仕事を辞めれば全てハッピーでは

ありません。その辺を理解したうえで、

改めて無職をお勧めしたいですね。

 

 

 

 

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