ポジティブに生きようよ!という人が、わりと本気で嫌い。
ネガティブな人間だと、周りからよく言われる。
確かに、何事も冷めてみてしまうほうだと思う。
何をするにしても最悪のケースを想定してしまうし、
思い切ってリスクを負うようなことはできない達だ。
仕事をしている時でも
「今日はミスをするんじゃないか」
って考えるだけでも欝々とした気分になる。
そんな私を見て、周りの人たちは呆れたように
「もっとポジティブに生きろよ」
「そんなんで生きてて楽しいか」
といった言葉を投げかけてくる。
確かにそうだ。もっと楽観的に、
何事にもポジティブに考えたほうが人生は楽しいと思う。
不安やリスクなど一切考えず、ただ前向きに、明るい未来を信じて
生きていければ、どれだけ楽だろうか。
私も、もう何回ポジティブな人間になろうとしただろうか。
意識があるときはできるだけ前向きな思考を巡らせたし、
「明るい人間に、俺はなる!」
とワンピース張りに周りに宣言したこともあった。
しかし、ダメだった。
いくら矯正をかけようと、もともとの性格はそう簡単には変わらない。
ポジティブに生きようとする度、今までの自分を否定しているみたいで、
より一層虚しくなっていった。
そんな生粋のネガティブ人間な私を、救ってくれた言葉と出会った。
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)
- 作者: 岡本太郎
- 出版社/メーカー: 青春出版社
- 発売日: 1993/08/01
- メディア: 文庫
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【自分の中に毒を持て】
没後20年たった今でも、数多くの人の心を揺るがす巨匠だ。
この本の中に、こんなフレーズがある。
たとえ、自分がうまくいって幸福だと思っていても、世の中にはひどい苦労をしている人がいっぱいいる。この地球上には辛いことばかりじゃないか。だから自分は幸福だなんてヤニ下がっているのはとても卑しいことなんだ。たとえ自分自身がとてもしあわせだと思っていても、一軒置いた隣の家では苦しみを味わっているかもしれない。そういうことにはいっさい目をつぶって問題にしないで、自分のところだけ波風かたたなければそれでいい、そんなエゴイストにならなければ、いわゆる”しあわせ”ではあり得ない。
この文章を読んだとき、まさに衝撃的だった。
そうだ。幸せやらポジティブやらなんて言葉は、都合のいいところだけを
切り取った一部でしかない。不幸な部分を見ないで楽しむ人生に、
いったいどれほどの意味があるんだろうか。
世間には不幸が溢れている。
海の向こう側で罪なき日本人が何人も殺された。
待機児童や貧困問題は後を絶たないし、世界の情勢も
大きく変わり始めている。
そういった不幸や、それらが醸す不安な空気を
感じ取らずに、ただ自分とその周りだけ楽しく生きようと
することが幸せだというのなら、私は一生不幸でいい。
別に、ポジティブに生きることを否定しているわけじゃない。
ただ、それが幸せであると押し付けてくること、
ネガティブが不幸であると決めつけてくること、
自分が見えていない物を感じようとしていないことは、
あまりにも下品であると思う。
これはもう体に入ったOSパーツみたいなものなので、
簡単には取り替えられないだろう。
ネガティブ人間ならばそれなりに、自分のことばかり
不安に思ってしまうのではなく、どこか遠い場所で起こった
不幸や悲しみに寄り添えるような人間になれればと、そう思う。
前までは、戦いに挑んで自分を貫くだけのエネルギーがあったけど、もう今は無駄な気力使わずに先に折れるようになった。そういうことを成長と言うなら、それは少し寂しい。
— 悠すけ (@xyusuke1567x) 2016年7月6日
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