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本職にしたい。

生き辛さこそ自分らしさだ。

 

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自慢じゃないけど、僕は無類の不器用だと思う。

 

 

何でも要領よくテキパキできるタイプじゃないし、物覚えも悪い。人付き合いもどちゃくそ下手だし、うまい事社会に溶け込めない。不器用さで競えば高倉健とハナ差でワンツーフィニッシュできるぐらいの才能を持ってると自負している。

 

 

 

そんな人間なので、基本的に損してばかりだ。

本音と建前をうまく使いこなせなくて人とぶつかりまくるし、そのくせ我は人一倍強いからよく叱られる。前職で上司から「自分を変えて器用に生きろ」って言われたのに「周りに合わせるぐらいなら損したほうがましです」って返したほどだった。まったく生き辛い人生だと思う。

 

 

 

でも世の中には僕とは真逆の天性の世渡り術を持った人もいる。

僕が知っている中でこいつには敵わないと思ったのは、いつも「こんな会社辞めてやる」って言ってたのに、ちゃっかり新人賞を取ってたやつだ。いつもサボってたのになぜかそれなりの数字を残してて、周りの評価も高かった。結局そいつは「母親が病気になった」って嘘ついて皆に惜しまれながら辞めていった。不祥事起こしてクビになった自分とは雲泥の差だ。

 

 

 

 

全く器用な人間がうらやましい。もっと生き易い人間に生まれたかった。

 

 

と、つい先日まではぼやいてばかりだった。自分を受け入れず世の中を恨んでばかりいた。けれど最近、自分の生き辛さについて考えに考えた結果、一つの答えが見えてきた。

 

 

 

「生き辛さこそが自分らしさじゃないか?」

 

 

そもそも生き辛さとはなんだろう。

周りの意見と食い違ったり、周囲の期待に沿えなかったり、いわゆる「社会」という枠の中に納まらないからこそ生まれるものなんじゃないか。例えば僕が無類のアイドル好きだったとしよう。いわゆるオタクと言われるほどで、バンダナを巻いたりチェックのシャツを着たりしている。(イメージ)これはきっと周囲から受け入れにくい。誰からも理解されずに非難されることもあるだろう。だけど、それこそが「自分」なのだ。周囲の反応や非難を恐れずつき進めることがきっと自分らしさなんだと思う。

 

 

そう考えるとどうだろう。「生き辛い」のは「自分を生きている」ことの裏返しじゃないだろうか。イージーな人生を送っているのは、つまり周りに合わせて生きているだけで、自分の根本にある欲求をさらけ出せずにいるわけだ。僕にはそっちのほうがよっぽどしんどい。

 

 

岡本太郎の「自分の中に毒を持て」でこんなフレーズがある。

 

 

世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく、うまくはいくかもしれないが、本当にいきているのではない。流されたままで生きているにすぎない。

 

 

 

生き辛さや他人に理解されないもの、悶々としたものこそ自分らしさだと思う。だからこそ同じ悩みを抱える人には自信を持ってほしいし、僕も常に生き辛さを大切にしていきたい。

 

 

 

 

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)