何かとやってみるブログ

本職にしたい。

どう考えたって仕事がつらい。

 

 

約1年ぶりにブログを開けてみた。

さすがにもう誰も見に来ていないだろうと思っていたら未だに毎月2000アクセスほどあって、そのほとんどが飛田新地ネタであることに、闇を感じている。

 

 

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今の職場で働き始めて、丸々一年が経とうとしている。

「どうせ働くなら自分の強みを活かせる仕事がしたい」

と思って、今の職を選んだ。書くことはほかのことに比べて苦にならなかったし、何より周りから「文章が面白い」と、熱いよいしょが多く寄せられていたため、これが自分の生きる道だ!と思い込んでいた。

 

 

そして、自分の天職と信じて疑わない新聞記者になって一年が経った今、声を大にして言いたいことがある。

 

 

仕事、マジでつらい。

 

驚いた。いやはや驚いた。思っていた以上に辛い。

自分の好きなことを仕事にすれば、楽しく仕事ができるもんだと思っていた。もちろん原稿を書くことは楽しい。取材先に褒めてもらったとき、先輩に認めてもらったとき、やりがいがある仕事だな。そう感じる。しかし、毎日たまる原稿、次の号の企画、迫りくる締め切り、取れないアポイント、上手くいかない取材、職場の人間関係、君臨するお局、犬と化す上司、生まれる派閥、挟まれる自分、気になる続きは、コマーシャルの後。様々な要因が複雑に絡みあった社会の中で、消耗する毎日を過ごしている。

 

 

 

仕事の八割は人間関係だ。人が生活するために働くんだから、考えれば当然のことだと思う。それは記者職であろうが、自分が以前やっていた営業職でも、事務職でもそれは変わらない。人と接することでビジネスが生まれ、人を介することでお金が生まれる。だから、人間関係が不器用な自分が社会で辛い思いをすることは、至極真っ当なのだ。そして残念なことに、「自分一人で生きていける」というパワープレイができるほど、才能にも恵まれてはいない。

 

 

 

自分は人間関係の形成がヘタクソだ。他人とどれぐらいの距離感で接すれば正解なのかがあまりわからない。いや、そもそも正解か不正解かなんて基準で考えている時点で根本的に間違っているのかもしれない。とにかく人間関係の部分で、今までずいぶん損をしてきた。

一方で、世の中には人付き合いの天才みたいな人がいる。あんた、前世でどれだけの善行を積めばそんだけ人に好かれるんだよ。というぐらい軽やかに他人と打ち解けている。もちろん、その人なりの努力はあっただろうけれど、確実にそういう素質を生まれ持ってきている。この差は40キロのハンデを与えられているフルマラソンぐらい大きい。

 

 

 

 

儲かるものがいれば、その分損する人がいる。お金持ちになる人が多くなれば、その分貧困にあえぐ者が増える。その原理は変わらない。つまり仕事が楽しい人がいるということは、その下で歯を食いしばっている役目が必要なわけだ。

 

 

「楽しいを仕事に」

 

 

というフレーズを最近よく耳にする。自分が楽しいと思える仕事につかなければ、仕事をする意味がない、と。40年も続く就労人生、辛いことに費やすのですか?ということらしい。なるほど。その意味はよく分かる。ただ、自分はこの言葉に違和感がある。「楽しいを仕事に」という言葉を意識しすぎるあまり、現実との違いに苦しんではいないだろうか。楽しいの暴力に、精神を削られてはいないだろうか。そんなことよりも、「そもそも仕事はつらい」と、開き直ってしまったほうが、ずいぶんと楽になると思う。それが、この一年で最も実感したこと。

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

25歳は、新卒者から数えれば社会人3年目。一般的に転職を考える人が多くなる年らしい。何の誇りにもならないけれど、一社目をクビになり、その後入院やら職業訓練校やらを経て今の職に就いた自分から「しくじり先生」的立場で言わせていただくと、

 

 

 

どこに行っても、それなりに仕事はつらい。

 

 

それだけ。これからも強く、たくましく生きていこうな。