営業をクビになった男が営業に戻るまでの一年間の軌跡
突然だけど、僕は営業職で入った新卒の会社を、10ヶ月でクビになっている。
その経緯については、めんどくさいし思い出したくもないので省略するけども、数字のプレッシャーに耐えられず、自爆してしまった。と言っても間違いではない。人一倍の責任感と完璧主義な性格なので、「もっと数字を上げなくては」と、自分の首をずーっと絞めていた。
だから会社を辞めた時、次は絶対に営業はやらない。と心に決めた。もうあんな思いはしたくないし、何より自分を追い詰めることは、周りにも被害が及ぶことを知ったからだ。
そうは言うものの、平凡な文系大学出身の僕に営業以外の仕事は簡単には見当たらない。転職サイトにずらりと並んだ『営業職』の文字たち。ふざけんじゃねえ。この時初めて、何でもっと真剣に自分の将来を決めなかったんだ。と過去の自分を責めた。
三日三晩寝ながら悩んだ末、僕が導き出した答えは「書くこと」だった。文章を書くのは何故か人よりうまかったし、何より自分の文章を人に読んでもらうのが好きだった。そうと決まれば話は早い。早速転職サイトで「ライター」の検索を叩く。しかし、ライターの道のりはそう甘いものではなかった。
ライター募集はあるものの、条件欄に「業界経験者のみ、ライティング経験ある方」がほとんどだった。『営業が嫌だから』というミラクルネガティブな動機で応募しても、落とされることは目に見えていた。何よりも、今までブログでは文章を書いていたものの、本格的に教わったことが無かった。これは困ったちゃんである。
何としても営業から逃げたかった僕は、正社員での雇用を諦め、書店でアルバイトをしながら、毎週土曜日に行われる「編集・ライター養成講座」に通うことを決めた。ここはその名の通り、編集者やライターを目指す人のための養成塾だ。ちなみに費用は半年間で約30万円。無職の僕にとってこれがどれほどの金額か。いかに営業から逃げ出したいかの本気度がうかがえる。
アルバイトをしながら、ってさらっと書いたけど、23歳でアルバイトを始めるのは相当辛い。3つも下の大学生が先輩だし、敬語を使うなんて恥の極みゴリラだった。同窓会で「フリーターをしている」なんて言った途端、ごみを見る目に変わった。それでも「俺はライターになるんや」と思って堪えた。せめてもの救いは彼女がいなかったことぐらいか。いや、いれば良かったのか。分からん。
半年後、そろそろ講座が終わりが見えてきたころ、朝日新聞が編集スタッフを募集していることを知った。編集スタッフとは、新聞のレイアウトをパソコンのソフトで組み立てる仕事だ。契約社員としてだったが、「大手新聞社で働ける経験などめったにできない」と応募し、見事採用。新聞社の門を叩いた。
契約社員は、3年間限りを条件に採用される雇用形態。社会保険や有休は与えられるが、仕事は正社員の雑用がほとんど。それでも、自分の手がけた紙面が全国に配られることは何よりのやりがいだった。ライターではなく新聞記者もありだと思うようになった。響きもカッコいいしね。
それから5ヶ月ほど経ち、契約社員としてそれなりに楽しく仕事をしていた頃に、社員から声をかけられた。
「山本、記者の仕事に興味あるん?」
「はい」
「知り合いが働いてる新聞社が求人募集してるけど、受けてみるか?」
「マジっすか」
二つ返事で応えた。これがあるから大手は強い。早速履歴書を送り、面接に向かった。結果は採用。夢にまで見た新聞記者である。前職をクビになってから、約1年が経っていた。
そして今、僕は新聞記者として働いている。もう数字に追われることはない。取材で聞いた内容を記事に仕上げ、読者に届ける。これほどやりがいのある仕事はなかった。何より自分の夢をかなえたという自信が、僕を突き動かしていた。これから僕は、敏腕記者として名を残す。
はずだった。
先日のことだ。上司から時間があるかと、会議室に呼ばれた。
「山本」
「はい」
「営業記者やらへんか」
「マジか」
10秒だ。10秒である。僕が一年間かけて逃れた『営業』に10秒で引き戻された。現実とはいかに残酷で、はかないものだろう。そして、組織を前に、個人とはいかに小さく脆いのなのだろうか。ここまで長々と書いたサクセスストーリーに付き合ってくれたあなた。本当にありがとう。オチは10秒で回収された。
そんなわけで、7月までの期限付きを条件に営業もやることになりました。もちろん「営業記者」なので、原稿も書くけれど。それでも、世の中の理不尽さを前に「ブログに書くしかねぇ」という思いでいっぱいです。思い通りにならないことが多いけど、できるだけ前向きに頑張っていこうな。
★★★
新社会人に送れるアドバイスがあるとすれば、「弊社はやめとけ」ぐらいなんだよな。
— 悠すけ (@xyusuke1567x) 2017年3月31日
では。