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何かとやってみるブログ

本職にしたい。

ドアを叩く「ノック」という行為に真剣に向き合ってみた。

 

 

 

病気柄、病院に行く事が多いんです。

 

そして、先日も通院してきたんですが、

そこでふと気になった事があるので、

今日はそれについて書きたい。

 

 

 

 

「診察室のドアをノックするのか問題」だ。

 

 

 

 

ドアという敷居を隔てて別の空間に移動する際、

そちら側に別の誰かが存在するのであれば、

まずドアをノックするのは至って普通の事だろう。

 

 

それは、これからそちらに伺いますよ。

という合図であり、自分と言う存在をまずは

音によって知らせることで、相手に心理的な余裕を

持たせるためのものである。

 

 

 

ならば、たとえどの空間であろうとも

見えない向こう側に移動する際は「ノック」

というクッションを挟むべきだと、そう思う。

 

 

 

しかし、だ。

 

 

それは相手が、自分と言う存在にまだ気づいていない

時だからこそ効果を示すものなのではないか、とも思う。

 

自分が入室する準備ができていない所に

急に押しかけてしまえば、それは失礼に値する。

 

ただ、診察室という、相手側から自分を呼び寄せる

場合は、どうなのだろうか。

 

 

この場合、相手が主導であるため、

準備が整っていない。という状況になる事はまずあり得ない。

 

 

呼んでおきながら、入ったら怒られるなんて

理不尽はちょっと遠慮願いたい。

 

 

つまり、自分が入室する事を事前に許された中で

入室の許可を求めるノックするなんて、

それは逆に失礼に値するのではないだろうか。

 

 

「いやお前、入れって言ってんのに入って良いですか」

って、緊張でがちがちになった就活生かよっ。ってなる。

 

 

 

これは由々しき問題である。

 

 

今までは、ドアの向こう側に入る際、

際限なくノックをしていたのだが、

この事実に気づいてしまった今日から、

自分は「想定客」なのか「想定外客」

なのかを意識して、その度にノックの有無について

考えないといけないからだ。

 

 

 

 

そもそも、「ノック」は世の中に

いかほどの意味を成しているんだろうか。

 

 

google大先生に質問してみたところ、

こんな答えが返ってきた。

 

 

  1. 打つこと。たたくこと。
  1. 訪問や入室を知らせる合図に、戸を軽くたたくこと。「扉を軽く―する」

 

 

 

ふっつーーーーーやな。

 

 

そんなんじゃないんだよな。

俺が求めていたのはそんなんじゃないんだよ。

俺が聞きたいのはその「訪問や入室する事が

許可されてる中でわざわざ合図する必要があるのか」

なんだよな。

 

 

これが解決しない限り、俺はノックするたびに

いちいち躊躇してしまうんだよ。

それは本当にめんどくさい事なんだよ。

 

 

 

 

ただ何が一番めんどくさいって、こんなクソみたいな

どーでも良い問いに一時間も迷い続けてしまう自分自身なんだけどな。

(しっかり落としました)

 

 

 

 

 

 

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