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何かとやってみるブログ

本職にしたい。

努力について

blogos.com

 

はい。

 

こんにちわ。

 

いつも食べてる昼ごはんのバランスが超悪く

(ご飯、味噌汁、ポテトサラダ)

周りから

「おかず作ってきたたげよか?」

と心配されてます。

 

 

 

さて、今日は土曜日で時間は「努力」について

すこし持論を展開したいと思いまする。

まず、リンクページにある日本人の努力論、

 

結果が出れば努力は認められ、結果が伴わなければ努力が足りないと責められる。

こんな社会はクソだと。

 

賛成。大いに賛成。異議なし。

 

そもそも私は根本的に努力という言葉が嫌いだ。

努力をしてるって事はしんどい事をしてるって事と同意義で、

つまり自主的に無理させたい時に用いられる都合のいい言葉でしかないからだ。

 

ただ、この努力という言葉が社会では異常なまでに美化されている。

弊社の上司も「新人はとにかく努力しろ」「できるようになるまで頑張れ」

と、言い回しを変えつつ根性論をやたらと展開してくる。

 

 

なるほど。確かに「努力は人を裏切らない」

という言葉にもあるとおり、その努力が実を結び、

成功という大輪を咲かせる事もままある。

甲子園を目指し、日々必死に汗を流す高校球児などは

その最たるものだろう。その証拠に高校野球は高い人気を誇っている。

 

 

ただ、甲子園で華々しい活躍をする彼らの努力の根底には

圧倒的な身体能力と野球センスがある事を知っているだろうか。

 

これは決して野球に限った話ではなく、あらゆる事に付いて回る話である。

センス、環境、時の運、性格、様々な条件が努力の前に立ちふさがっている。

 

 

努力は何事も解決する、と信じ切ってがむしゃらに無茶を犯す事は

何より危険なことではないだろうか。

 

 

もうこれ以上は、というほどの努力をしたが、

結果が全く伴わなかった。これに対し自分を責め、

さらに身を削ろうとする。

 

これでは自分の身が持たないか、精神がパンクするか

どちらかの危険性が大きく高まってしまう。

その結果が自殺やうつ病という社会問題に発展しているように思えてならない。

 

 

努力で得られる成果などたかが知れている。

 

 

という事を知るべきではないだろうか。

 

 

どうしようもない事はどうしようもないと半分あきらめ、

それなりに日々を過ごしていたほうが健全なのだ。

 

 

ただ、人生のすべてを堕落して生きていくというわけではない。

の半分は努力ではなく、習慣として生活に取り入れられればいいと思っている。

 

 

例えば今この文章を書いている事に対して、努力をしているという

気持ちは全くない。むしろもっと書いてやりたいとさえ思っている。

 

ただ、この作業を苦だと思う人を中にはいるだろう。

つまり、他人から見て努力だと思える事を、自分は無意識でできている

事を目指すべきなのだ。

 

 

自分は趣味でやっているのに、周りからは「すごーい!頑張ってる!」

と言われる。これほどの快感があるだろうか。何かモテそう。

 

 

 

要するに、自分が努力をしている。という意識ではなく、

ごく自然に、毎日歯を磨くような感覚でできれば良いなと思う。

 

 

 

まあそこまで至るためにも努力が必要なんだけど。

(全てが台無し)

 

 

 

 

 

では。