何かとやってみるブログ

本職にしたい。

20分でポケモンGOに飽きた話。

 

 

 

 

www.pokemongo.jp

 

ポケモンGOを、はじめてみました。

 

いや、本当はぜんっぜん興味なくて、「流行りなんか乗るか!」と得意のひねくれ方を貫いていたんだけど、結局はじめてみました。だってなんか、「選挙も行けないやつが文句言うな!」とかよく言うじゃん?あれと同じで、「やってもいない奴が批判すんな!」って言われたら返す言葉がないと思いまして。あと純粋に興味が面白そうだったし。そういうわけで始めたポケモンGOですけど、なんと、

 

20分で飽きました。

 

いやー、飽きた。瞬足で飽きた。そんなわけで今日は僕が20分で飽きたわけを長々と書いていきます。

 

 

要因1.ニックネームがつけられない。

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ゲームを始めるときの大きなイベントが「名前の登録」なのだが、どうやら同一ニックネームは登録できないらしい。僕の「ゆーすけ」とか、「さとし」や「わたる」といったメジャーネームは既に使われているらしく、自分とは全く関係のない名前を使わざろうえない。さらに登録がすべてローマ字表記というのもテンションダウン。いざポケモン!って思っていたのに、とんだ水差しイベントである。

 

 

要因2.ポケモンがいない。

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仕方なく「zyoshikousei」という名前でスタートさせて、最初のポケモンヒトカゲを選んだんだけど、そこから全く展開しない。というよりポケモンがいない。写真を見ていただきたい。僕が歩いている周りに何にもいない。これではゲームの楽しみようがないじゃないか。ゲームってのは退屈を凌ぐためにあるのに、ゲーム内で何も起こらなかったらもはやそれは何?ちなみに10分ぐらい歩いたけど何にも出なかった。え、そーいうもんなの?僕としては30分でコンプリートする予定だったんだけど。

 

 

要因3.イベントに参加できない。

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探しても何にも出ないから途方に暮れてたら、画面の上のほうに「ポケストップをめざせ」の文字を発見した。はたしてポケストップ何か?ポケモンセンターか?って思いながら、画面に出てたわりと存在感のある建物まで近づいてみた。これがポケストップか?そう思いながらタップすると、これ。「レベル5になったらまた来い」と門前払い。まさかの理不尽イベント発生。世の中かな?

 

 

要因4.捕まえるのが簡単すぎる。

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やっとの思いでコダックと出会ったんだけど、これがあっという間に捕まるわけだ。モンスターボールを当てればすぐ捕獲。ここに「ゲットの喜び」が生まれない。ポケモンをゲットする時って、ギリギリまで弱らせたり眠らせたり痺れさせたり、時にはふいの「急所にあたった」で死なせてしまったり戦闘の前にセーブしておいたり、色んな工夫と苦労の末にゲットできるものだと思うんですよ。なのにこれと来たらマスターボールかって程全部一発で捕まえられるし、「やったー」って言われてもなんかこっちとしては微妙なんだよね。もっと捕獲を難しくすべきだと思う。まあ20分しかやってないしわかんないけど。

 

 

 

総括

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結局20分で3匹捕まえました。コダックのCPが妙に高いのが気になるところだが、CPがもはや何を表すのか全く分かりません。コンパンについては特に何のツッコミ所もなく粛々と事務的に捕まえました。ただ、ゲームとは直接関係ないんだけど、20分しかやってないのに電池が20%も減ってるんですよ。脅威。これほとんどの時間ケータイかざしてぶらぶら歩いてただけですからね。とんだ電池オバケだよまったく。

 

 

というわけで久しぶりに流行りに乗ったんですが、やはり僕には無理でした。でも、ポケモン世代としては初期のポケモンがたくさん出てきてくれることはとてもうれしかったですね。歩きスマホとか事故の原因になるとか言われてますが、プレイする人は節度を守って楽しく遊んでくださいね!(誰から目線)

 

 

では。

 

 

話せばわかるなんてありえないんですよ。

 

 

こんにちわ。

 

 

転職して約2か月が経ちましたが、まだまだ分からないことが多くて失敗と叱責の日々を送っています。「辛いのは今だけ」と多くの人に言われますが、この程度前職に比べれば屁のツッパリもありません。適当に流してやり過ごしています。(でも仕事は全く覚えられない)

 

 

で、こういう仕事を教えてもらったりする時にいつも思うことなんですけれど

「理解できなかったら教えられる側が責められるのは何故なのでしょうかね」

いや、僕も学生の頃塾講師をしていたので分かるんですけど、教える側にも責任って絶対にあるんですよ。ろくな準備してこなかった授業は全然反応なかったりするんです。まあ当然のことですよね。自分で本当に理解していないんだから。

 

 

それなのに、この「教える・教えられる」の関係にあっては、教える側が圧倒的に有利です。分からなかったら相手のせい。分かるまで努力しろ。立場が上なのを良いことに、まるで自分の指導は完璧であるかのような態度を取ってきます。

 

 

僕はそこがとても腹立たしい。「お前の教え方も下手だろうが!」と。

 

そもそも人の話って9割は頭に入ってないんですよ。一回耳には入ってその時は理解できるかもしれないけれど、時間がたてばそんなことすっかり忘れているものなんですよね。それが難解な手順とか複雑な作業であれば尚のこと。そんな全部一気に覚えられるかいって話。だから「一度言ったよね?」っていう文句は全くナンセンス。

 

 

 

最近はLINEとかSNSのおかげでコミュニケーションが手軽になりました。しかし、本当の意思疎通や「伝える」ことって、実はむちゃくちゃ難しいものだと思うんです。だって自分の思っていることを言葉に表して、それが過不足なく相手に伝わるって奇跡みたいだと思いませんか?コミュニケーションを甘く見すぎなんですよ。

 

 

「話せばわかる」という有名な言葉がありますが、僕はこうは思いません。何故なら「話せばわかる」というスタンスでいると、分からなかったときに相手を責める要因になってしまうからです。むしろ「話してもどうせ伝わらない」という立場から、それならどうやって相手に伝えるかを必死に考えるべきなんです。

 

 

最近、なんか伝わらないなあ悩んでいたり、SNSのコミュニケーションに辟易された方は、ぜひコミュニケーションについて深く考えてみてほしいと思います。

 

 

 

 

あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)

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バカの壁 (新潮新書)

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では!

 

 

買い物のめんどくささを書いたら読むのがめんどくさくなるほど長くなった話。

 

 

先日、ついにパソコンを買い替えた。

 

前まで使用していたパソコンは大学時代に買ったもので、ノートパソコンといっても相当重いし持ち運びなんてとてもできるタイプではなかった。さらに僕の物持ちの悪さから左矢印ボタンが機能しないという致命的欠陥を抱えていたため、先日ヨ●バシカメラにて[surface pro4]とかいうイカスパソコンに乗り換えた。

 

 

さて、こういった電子機器を買い替えるというイベントは、見ているときは楽しいのだけれど実際買うとなるとマジでめんどくさい。僕はパソコンオタクでもガジェットマニアでもないので、こういう類のものは全く分からない。よって、金持ってぶらぶらしてる僕に目を付けた店員さんが寄ってくるのを待つばかりになってしまうのだ。

 

 

 

で、まんまと狩られてしまった僕は、外でもインターネットが使える[ポケットwi-fi]とやらも買うことになった。どうやらこれは月額で料金が発生するようになっているらしく、携帯電話と同じようにプランがどうだのキャンペーンだのおいしい言葉を並べられてあの手この手で僕からお金を引き出そうとしてくる。

 

 

 

こーいうの、マジでめんどくさい。絶対必要のないサービスも提供してくるから。それで断るのは何となく気まずい。さらに最近のセールスは進化しているらしくて、半年間は無料だけどそれ以降は料金がかかる。みたいなものもある。とりあえず無料で試してみて、必要なかったら外せばいいと。でもこういった類のものは一回契約するとたいてい外せない。そのサービスに慣れてしまうし、外すときの手続等がまたややこしくなるからだ。人間心理を突いたうまい手法だと思う。

 

 

この手のセールスに僕は幾度となく手を焼いてきた。この前ジムに入会したときは水素水なるものを月額1,080円で契約してしまったし、携帯だって変なプランをガンガン取り付けてずいぶん割高な料金になっていると思う。だから今回こそはきっぱり断って、無駄なお金の流出を防ごうと心に決めた。「いや、大丈夫です」この一言を言うだけで何万円という命が救われるのだ。ほんの少しの勇気を持ってください。あなたの、新しい第一歩を応援します。

 

 

案の定、サービス上乗せの話が出てきた。紛失保障やら損害補償やら、「今ならキャンペーンで無償なんですよ」と甘い言葉で誘ってくる。だが、前職でセールスマンをしていた僕は知っている。キャンペーンは年中無休だ。数々の誘惑をかわし、かつ少し悩むリアクションで店員さんとの和を保つという高度なテクニックを披露した後、ついに言ってやった。

 

 

「あの、今回は大丈夫です」

 

言った。ついに言えた。あの時は言えなかった言葉が、多少のたどたどしさはあったものの、ついに「丁重にお断り」をすることができたのだ。長かった。長い道のりだった。今まで幾度となく過去の過ちを責めたものだった。なぜ水素水なんか契約したんだ。と。夜も眠れない日々が続いた。それが原因で会社も辞めた。ストレスで入院もした。しかし、今、すべてのトラウマに打ち克って僕は本当の自分を手に入れたんだ!もう怖いものはない!!

 

勝ち誇った顔で店員さんの顔を見ると、、、

 

 

「そうですか・・・・」

 

 

 

なんで、、

 

 

 

「なんでそんな悲しい顔をするんだよーーー!!!!」

 

気分悪いわ。いらないものをいらないって言ったのになんでそんな顔するんだよ。いらないよだってなくさねーもん普通。だいたい持ちあるくだけのものを壊すってどういう状況だよ。んなもんに月1000円も取られてたまるか。

 

 

やはりこの手の買い物はマジで本当に苦手だった。

 

 

母校の応援に行ってきました。

 

 

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「先生、俺野球上手いねん!」

 

「そうか。まぁ頑張れよ」

 

3年前、僕がまだアルバイトで塾の講師をしていた時に、一人の生徒とこんな会話を交わした。その生徒が僕の母校である乙訓高校でエースナンバーを背負っていると知り、先日応援に行ってきた。

 

 

 

久しぶりのグラウンド、照り付ける日差し、選手たちの声、応援団の大声援、心地よい金属音、どれもとても懐かしく、自分が現役だったころを思い出させてくれた。そんな中で馴染みのあるユニフォームの背中にエースナンバーである1番を付けて、その子はマウンドに立っていた。堂々と相手に向かっていく姿勢や全力でプレーするひたむきさは、3年という歳月を感じさせてくれた。

 

「俺カーブ投げれるねん。すごいやろ」

 

なんて生意気なことを言っていたのが嘘のようだった。かつて自分も通った高校で、同じユニフォームを着て、同じグラウンドで成長していってくれたことが、何よりもうれしかった。そして、甲子園という夢を全力で追いかけている姿が、少しうらやましかった。

 

 

 

 

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相手は強打を誇るシード校、序盤の失点が響いて試合は負けてしまった。それでも、後半の粘りで接戦まで持ち込んだ。大量失点を許した後にも「まだまだこれから」「ここからひっくり返すぞ」と響き渡る選手の声に、胸を打たれた。くさい言葉かもしれないけれどあきらめないことの大切さを、彼らから教えられた気がする。ありがとう乙訓高校野球部のみんな。そして、教え子である上野君、お疲れ様でした。

 

 

 

 

何より球場で食べたジャンボフランクがくっそ美味かった。

 

 

 

 

 

本当に大切なものは目に見えない。

 

 

 

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前回の記事

 

yusuke1567.hatenablog.com

 

でも紹介したと思うけど、童話ブームが、きてる。

 

 

童話なんて現実離れした幼稚なファンタジーで子供だましでしょ?

そういう人にこそ一度読んでいただきたい。確かに童話はどこかロマンチックで純粋な話が多い。現実社会のドロドロしたような雰囲気や人間同士のいざこざの描写は少ないだろう。人間の汚い部分に慣れてしまった僕たちには多少物足りないかもしれない。けれど、だからこそ読む価値があるのだと思う。社会にすり減らされた大人だからこそ響くフレーズに出会えたり、忘れていた童心を思い出させてくれるからだ。

 

 

 

 

 

星の王子さま (新潮文庫)

星の王子さま (新潮文庫)

 

 

星の王子さま

 

サン=テグジュペリっていう名前のクセがすごいフランス人作家が書いた本。刊後60年たった今でも愛され続けているまさに童話の金字塔だ。

 

ストーリーはいたってシンプル。自分の星から旅に出た王子様がいくつもの星を渡り歩く。その行く先々で様々な人間に遭い、人間のおかしな部分に王子様が純粋に気づいていくというもの。子供ながら的を射た王子様の目線に、普段の雑踏の中で生きている私たちはハッとさせられる部分も多い。

 

 

 

特に、王子様が5番目に訪れた労働者がいる星の掛け合いは秀逸だった。

王子さまはガス灯を管理している一人の労働者に「なぜガス灯を灯すのか」と聞きます。すると労働者は「それが指示だから。わかる必要はない」と答えます。その上労働者は「いつでも休みたい」と嘆いている。これはまさに私たちの労働を象徴しているのではないだろうか。ただ指示通りに動くだけで、働く理由や、その価値なんてわからない。私たちの暮らしを子供目線で客観的にみるとこんなにも滑稽なものかと思わされます。

 

 

 

 

 

そして有名な「本当に大切なものは目に見えない」という言葉

何でも「見える化」してしまう今だからこそ、自分にとって本当に大切なものはなんだろうと改めて気づかされます。社会に揉まれる毎日を送る大人にこそ読んでもらいたい小説です。

 

 

生き辛さこそ自分らしさだ。

 

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自慢じゃないけど、僕は無類の不器用だと思う。

 

 

何でも要領よくテキパキできるタイプじゃないし、物覚えも悪い。人付き合いもどちゃくそ下手だし、うまい事社会に溶け込めない。不器用さで競えば高倉健とハナ差でワンツーフィニッシュできるぐらいの才能を持ってると自負している。

 

 

 

そんな人間なので、基本的に損してばかりだ。

本音と建前をうまく使いこなせなくて人とぶつかりまくるし、そのくせ我は人一倍強いからよく叱られる。前職で上司から「自分を変えて器用に生きろ」って言われたのに「周りに合わせるぐらいなら損したほうがましです」って返したほどだった。まったく生き辛い人生だと思う。

 

 

 

でも世の中には僕とは真逆の天性の世渡り術を持った人もいる。

僕が知っている中でこいつには敵わないと思ったのは、いつも「こんな会社辞めてやる」って言ってたのに、ちゃっかり新人賞を取ってたやつだ。いつもサボってたのになぜかそれなりの数字を残してて、周りの評価も高かった。結局そいつは「母親が病気になった」って嘘ついて皆に惜しまれながら辞めていった。不祥事起こしてクビになった自分とは雲泥の差だ。

 

 

 

 

全く器用な人間がうらやましい。もっと生き易い人間に生まれたかった。

 

 

と、つい先日まではぼやいてばかりだった。自分を受け入れず世の中を恨んでばかりいた。けれど最近、自分の生き辛さについて考えに考えた結果、一つの答えが見えてきた。

 

 

 

「生き辛さこそが自分らしさじゃないか?」

 

 

そもそも生き辛さとはなんだろう。

周りの意見と食い違ったり、周囲の期待に沿えなかったり、いわゆる「社会」という枠の中に納まらないからこそ生まれるものなんじゃないか。例えば僕が無類のアイドル好きだったとしよう。いわゆるオタクと言われるほどで、バンダナを巻いたりチェックのシャツを着たりしている。(イメージ)これはきっと周囲から受け入れにくい。誰からも理解されずに非難されることもあるだろう。だけど、それこそが「自分」なのだ。周囲の反応や非難を恐れずつき進めることがきっと自分らしさなんだと思う。

 

 

そう考えるとどうだろう。「生き辛い」のは「自分を生きている」ことの裏返しじゃないだろうか。イージーな人生を送っているのは、つまり周りに合わせて生きているだけで、自分の根本にある欲求をさらけ出せずにいるわけだ。僕にはそっちのほうがよっぽどしんどい。

 

 

岡本太郎の「自分の中に毒を持て」でこんなフレーズがある。

 

 

世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく、うまくはいくかもしれないが、本当にいきているのではない。流されたままで生きているにすぎない。

 

 

 

生き辛さや他人に理解されないもの、悶々としたものこそ自分らしさだと思う。だからこそ同じ悩みを抱える人には自信を持ってほしいし、僕も常に生き辛さを大切にしていきたい。

 

 

 

 

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)

 

 

 

 

 

 

 

「とりあえず3年」で辞める人はつまらない。

 

 

こんちわ。

 

社会人になってまだ日の浅い方や、就職活動真っ最中の方は「とりあえず3年」という言葉をどこかしらで耳にしたことがあると思います。いったん就職した会社には、3年ぐらい続けないと仕事の面白みや後の転職市場において不利になる。といった意味から「とりあえず3年」という言葉がよく用いられます。

 

 

僕は、前職を8か月で追われた身なのですが、辞める前からこの「とりあえず3年」という言葉に疑問を抱いていました。そして、紆余曲折を経て再就職にこぎつけた今、この言葉を鵜呑みにして本当に3年で辞めてしまう人は本当につまらない人生だな思うようになりました。

 

 

 

というのも、この「3年は続けたから辞めます」という考えが、先生に怒られない範囲で悪あがきする子供の発想にそっくりで、つまらないなあと思ってしまうのです。3年という一つの社会的区切りを利用しないと次の一歩を踏み出せないほどの人が、これから自分の人生を自らで切り開いていけるとは到底思えないのです。

 

 

3年は続けたほうがいい。とか、大企業に入れば一生安泰だ。とか、そんなものは一昔前の他人が勝手に言っていたことで、自分とは何の関係もありません。自分の人生に他人の言葉を引用して生きていくことに、意味はあるでしょうか。本当に自分を生きたいのなら、すべてを自らで決めないといけないと思います。そして、自分で道を切り開いてきた人は、それがどんな道であろうと幸せそうに見えるんです。本当にそうなんです。

 

 

別に3年で辞めてしまうことをとやかく言っているわけではありません。長く勤めていると社会的信用が増すのは確かだと思います。しかし、ただ漫然と「3年」という言葉に縛られるよりかは、自分でスパンを決めたほうがいいのではないかと思うのです。

 

 

 

これははっきり言えることは、仕事ぐらいはなんとでもなるんです。日本はいま有効求人倍率が1倍を裕に超す売り手市場です。前職で求人関係の仕事をしていましたが、どこの会社も人材難に苦しんでいました。実際、8か月で会社をクビになった後ストレスで入院した僕でも普通に就職ができました。

 

 

 

一度レールから外れると、もう戻ってこれない。という言葉をよく聞きます。日本は失敗の許されない社会だと。しかし、僕は思います。本当の幸せは、レールの外にある、と。レールの中にあるのは、誰かが決めた社会的価値のある物だけです。怪我をしない範囲で保険を掛けながら恐る恐る進むよりも、自分の思ったペースとタイミングで思いっきり走り出したほうが、気持ちいものです。さあ!みんな仕事辞めろ!(本音)